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2021-04

そういってくれたのが、せめてものオレの勲章 - 2021.04.17 Sat

雨だよ。けっこう降ってる。書斎の窓を打つ。
ってことは北東風だな。静岡ではならい風という。
ならいはおぞいだで船だせんわァ、とか船頭がいうんだな。

「なんでぇな」とかいって早朝の港から蜻蛉帰り。
うち帰って、まァ、いっぺん寝直すんだ。
沖へ釣りにゆくときによくあったはなし。

オレはいっぺん眠ったら小用には起きない。
何度も起きる人はあるらしいけれど、膀胱はまだ柔軟らしい。
それで、今朝あたりだと7時に目覚めて一度ゆく。

気配に気づいておペケが「まだ早いよ」というと、
Uターンして布団に潜り、そのあとはひと眠り2時間。
で、今朝は9時に居間へ、ぬぅーと現れる。

そのまま洗面所へゆき、顔洗って、冷たいお茶を一気に飲んで、
やっと頭の霞が端のほうから晴れてきて、おペケとはじめて目が合う。
そこから、ぼけぇぇ...................... が、かれこれ30分。

なんともポンコツだなァと自分でも思う。
ピストンリングが摩耗して、馬力の失せたポンコツ車。
動くには動くがアイドリングがないとエンストする。

それでいいよ。
自力で動いてるんだから............
おペケがそういうから、それでよかんべ。

21417-a1.jpg

お昼食べてきた。
チンしてできる「あん掛けやきそば」を半分っこ。
それだけじゃ足りないから、ポテチを砕いてトッピング。

ボンビー学生の昼飯みたいなことやってるが、
単身赴任やらおひとりさまやらを、やらかしてきたから、
こういうのはお得意なんだな。

わたしもやってみようっておペケ。
「あらァ、うまい」
ニンニク味ポテチがいいサポートしているよ。

←click

先日、1kg減ったァ、なんていってたのに、
昨夜の風呂上がりには500g戻していたって、トホホホだが、
ま、これには歴然とした理由がある。

妹たちがきて、ときどき仏壇へ菓子折なんぞ供えてゆく。
母親の位牌あずかっているからね。
で、供え物を食べるのは生身のオレたちなんだな。

3時に「お茶いれたよ...... 」って栗饅頭。
昨日も「美味しそうなドラ焼きあるよ」って誘惑がきつい。
だからたまには「夕ご飯は簡単でいい」ってことになってしまう。

ま、お茶入れておペケと団らん。
これがあれば多少の体重増加なんぞ、いいじゃん、いいじゃん。
ってことにしとこうよ。

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1年半のあいだ、毎日、毎日、窓の外の森をと眺めて過ごした。
これが、21歳の時だから、誰もができる経験ではい。
初めは、考えることがいっぱいあった。

けれどもそのうち娑婆っ気がぬけて、
ただただ、なんとなく、ぬぅぅ................. として過ごすようになる。
これがいまの、ぼけぇぇ........... の原点、ぬがぼに変わっただけ。

塀はあったけれど、それほど高くなく、
部屋の窓に鉄格子もなかったから念のため。
ただし、一般病との間の壁は厳重で厚いものだった。

つまり、郊外の病院のTB病棟でのはなし。
週に2回、ストマイ三種混合の抗生物質の注射をうつ。
これだけのために毎日を過ごす。

で、注射のこの日ばかりは、病棟のヌシのようなツワモノも、
おとなしく眠りこけている。
ただひたすら、抗生物質を体内にいれては安静にしている日々。

これが1年半だからね。
娑婆からもちこんだ苦悩を通り過ぎていくと、
やがて虚無になる。ならざるを得ない。

たしかに、あそこで何年かを過ごした人は独特の人生観を持つ。
なにも考えずに空ゆく雲を見続けていることが好きでもある。
オレはこのあとに、この注射による後遺症を背負い込んだ。

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四畳半といって、ピンとくる世代はどこまでだろう。
いまはワンルーム、鰻の寝床のように長細い。
オレは都会の片隅の四畳半にも届かぬ三畳間に生息していた。

万年布団に座り机がひとつ。押入はない。
部屋の四隅に本を山と積んで、すべての暮らしは布団の上でした。
いまでいう汚部屋だけれど、むかしのアパートはこんなもん。

三畳だと、足を机の下にいれないと寝られない。
大きく寝返りすると積んである本が崩れる。
ますます狭くなると一括り古本屋へもってゆき、晩の定食代となる。

薄暗い部屋の裸電球に照らされた天井の染み眺めつつ、
おのれが行く末考えて、青春悶々の日々を送っていたのは最初のうち。
あとは麻雀屋にくすがりこみ、食うも寝るも成り行き次第。

だいたい負けて、暗ァ〜〜〜〜い顔してた。
ま、無頼な暮らしも青春のうち。
なんとか、自分のやりたいことの裾野には到達していた。

駅横のガード下の飲み屋で飲んだくれてた三歳年上の女性と、
双方酔った挙げ句の喧嘩が縁で、くっついちゃ離れ、離れちゃァくっつき、
これが結核療養所へゆくまで続いた。

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反戦フォークの弾き語りをちいちゃなホールで聞いた帰り。
のれんくぐった居酒屋のコップ酒で、歩けないくらいに酔っぱらった。
さっきから、隣の女性が絡んでくる。

うっせぇーな、といってるうちに喧嘩になった。
外へ出ろ、コンチクショーめ、と喚かれて、
店の外へ出た途端に彼女がうずくまり、背中波打たせて嘔吐く。

喧嘩どころじゃないから仕方なく背負い、
駅横の仕舞た屋に担ぎ込んだが、それからあとはオレも意識が遠のいた。
朝になって彼女がいった。

「私たち、なにかしたかしらん?」
改めて自分の成りをみれば、着のみ着たまま、ぶっ倒れたまま。
酔っ払って正体なくした挙げ句のそのまんま。

ひとしきり笑ったあと、
「私のアパート近いのよ、寄っていく?」
そういわれてのこのこついていったのが腐れ縁の始まり。

酒を飲まなきゃいい女なのに、飲めばコンチクショーめ、と喚かれる。
なのにオレが素寒貧になると、性懲りもなく呼び出して、晩飯にありつく。
情けないつきあいだったが、オレがTB病棟へいって連絡も途絶えた。

その結核病棟にいたころは、ほとんどの病室が空いていた。
国を挙げての撲滅運動が効果をあげて、発病する人が減っていたのだ。
ただし、それは病院側としては経営の危機でもあった。

ゆえに、薬漬けにして離さないという話も聞かないことではなかった。
薬の申請、つまり、国の補助が1クール6ヶ月であるから、
そのときの医師の判断で、社会復帰の機会は半年に1回だけくる。

たまたま、新患があれば退院許可が出る、といわれたが、
その真偽は定かではない。
いずれにしても、食っては薬を飲んで,正体もなく眠るの繰り返し。

オレの将来どうなってしまうのか、と次第に追い込まれていくんだな。
死にたくないと泣きわめく粟粒結核の若者がいて、慰めるこっちが滅入った。
こんなことの繰り返し。

だから、あそこから復帰すると,人世斜に構えるようになる。
加えて、退院しても薬の後遺症に悩まされ,
わけわからぬ不定愁訴に悩まされる。

自分の夢からも遠ざかり、いっとき忘れようと呑む酒も、
薬のせいか、すぐに悪酔いして吐いた。
ま、退院しても暗い目をしていた23歳であった。

それを救ってくれたのが亡き人だった。
わずか半年の後にオレは彼女とボンビー所帯を持った。
それから44年、尽くして、尽くして、彼女は召された。

オレの悔いと悲しみは、充分な恩返しも出来ないままの別離だった。
けれども、最後の最後に「シアワセだったよ、ありがとう」と、
いってくれたのが、せめてものオレの勲章。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした.............


20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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