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2020-09

じゃがたらお春の赤い花 - 2020.09.18 Fri

はァー、と 溜息ばかりついていて、頭のなかでは、
きっと帰ってこいよーと絶叫しているのだねぇ。
集中治療室の相棒に、呼びかけて、呼びかけて、念じて..............

なんか力が抜けてしまった。
「大丈夫よ。集中治療室から出て元気になる人いいぱいいるから.... 」
そういってくれるけれど、そうあってほしい。

小学校から同級生で、あの人が前から3番目。
オレが後ろから3番目の、でかちびコンビが、いっしょに釣りをして、
いっしょに写真撮りにいって、10日にいっぺん長電話してぇ。

考えてみれば、誰よりも、誰よりも、
これまでの人世のなかで、いっしょにいたんだものなァ。
つらいよな。絶対に帰ってこい。きっとだよ。

「退院したよ」って電話待ってるぞ。
オレがもう一度鍛えておんぶしていくから、
写真撮りにいこうな。

 20918-a5.jpg

そういえば、親友の入院に動転してしまって、
おペケになにを頼んだか忘れtsてしまっていた。
愉しそうに帰ってきたおペケに、これこれしかじかと話す。

「ごめんな。落ち込んでるから........ 」と伝えると、
おペケがすぐに察してオレのトーンに合わせでくれた。
「おにぎりなかったのよ」

そうそう、デパ地下のおにぎりをリクエストだった。
テレビでお米屋さんが開いたこdわりのおにぎり屋さんを視た。
それで、ちょっと違うオニギリが食べたい、そう思った。

ぞろぞろとおばばたち4人と、運転の妹1の娘が1人。
デパート巡りが彼女たちのリクレーションなんだな。
地階で、「おにぎり屋」の握る人が休憩時間だったらしい。

 

「わたしが握るからね」
「ふぅんわりィと握って......... 」
イクラおにぎりが美味かったなァ。

 20918-a1.jpg

安倍元総理の潰瘍性大腸炎は国が指定する難病のひとつ。
完治はないそうで、血便や激しい下痢に悩まされ、
小康状態と発作を繰り返すそうだ。

辛いだろうと思う。
反安倍勢力のなかにはポンポン痛いなどと揶揄した人もいるが、
おなじく難病に苦しむ人に対して非人間的発言でもある。

オレのは、大腸過敏症候群というヤツ。
ストレスがあるはずの在職中ではなく、退職して直後に、
これを患ってかなり辛い思いをした。

大腸がかなり速い蠕動をする。
CTを撮って腸がブレているくらい。
したがって腸は多量の水分を分泌する。

これが溜まると、激しい腹痛と下痢がおきる。
排泄してしまえば、しばらくはけろりと治る。
ま、潰瘍性大腸炎に比べれば、辛いうちに入らないかもしれない。

とにかく、これは下痢なのだから、外出もしたくなくなる。
下世話にいえば、常にトイレの心配をしなければならない。
目的地を決め、コースを決め、もしもの場合の場所を決めて外出する。

潰瘍性大腸炎ともなると激しい痛みに耐えるのだという。
その辛さたるや想像を絶する。
安倍元総理の辞職に関しても酷い発言をした野党議員がいた。

病気を揶揄するのは許せないと思う。
なんで、こんなに議員の質が落ちてしまったんだろう。
情けないやねぇ。

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9月下旬には彼岸花が咲く。
オレは曼珠沙華といういいかたが好きだな。
まんじゅしゃげ、あるいは、まんじゅしゃか。

 赤い花なら 曼珠沙華
 阿蘭陀屋敷に 雨が降る

 濡れて泣いてる じゃがたらお春
 未練な出船の あゝ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る

往年のヒット曲「長崎物語」だね。
1939年(昭和14年)に発表された由利あけみの曲だってぇ。
オレたちが戦後に歌ったんだ。昔の歌は息が長い。

もっとも戦後になって、渡辺はま子、春日八郎が歌っている。
歌い継がれた唄だったんだな。うちにも、このレコードがあった。
オレ、これ聞いていたからか、物憂いこの歌手の歌い方が好きだな。

寛永6年に混血児追放令がでた。
父は異国の人ゆえに日本を追われた、お春の物語。
父はイタリア人の航海士だったようだ。

これで15歳のお春は、母姉とともにジャカルタにつれていかれた。
惨いことをしたんだね。
この、幼な馴染にあてた切々の手紙は有名。

 あら日本恋しや ゆかしや 見たや



彼岸花は毒があるから触っちゃいかん。
寺にあがってゆく坂道の周りには彼岸花が咲いていた。
彼岸花は、子供心にも、あまり触れたくない花だったのだ、

球根に毒があるし、真っ赤な花の色とあいまって、
子供たちにはタブーの花だった。
あの真っ赤な色はほかの花にはなかったものね。

加えて、お彼岸に寺の周りで咲くから、仏さまを迎える花だといい、
悪さばかりしている悪ガキも、
この花だけは棒で振り払うようなことはしなかった。

「お盆とお彼岸は殺生するな」
大人たちにそう教わっていたし、それをまた子供たちは守ったのだ。
あれは、先祖を敬うって躾が日常的にあったのだね。

少し歩いて大学の裏へまわり、家並みが途切れるところまでいくと、
茅葺き屋根の尼寺があった。寺というよりも、小さな庵。
いまは、ホワイトロードとかいい、お洒落な通りになっている。

庵主さまは一年中を托鉢して歩き、
暮れになるとそれを歳末助け合いに寄進する。
チリン、チリンと鈴を鳴らして、街の中を托鉢しておられた。

この庵の周りを真っ赤にして彼岸花が咲いた。
その庵の前の麦畑の先に雲雀が巣を作る。
雲雀は、遠くに降りてから地上を歩いて、巣の在処をはぐらす。

麦畑で3日粘った。そして見つけだした巣には雛がいた。
巣から離すつもりはなかったが、
手のなかの雛のぬくもりを愛でていた。

「かえしておあげなさい」
知らぬ間に、背後に庵主さんがたっていた。
「生き物にはみな、大事な命があっての.............」

雲雀を巣にかえして、半紙に包んだ落雁をもらった。
なにか面映ゆく、ぴょこんと頭を下げて帰ろうとすると、
庵の庭先に子供がいた。

黒髪を眉毛の上で切りそろえ、大きな目をした女の子。
なぜかしらないが、背筋に電気が走った。
オイら小学校5年生か。

女性に一目ぼれした最初の瞬間であった。
この女の子とは、中学生の終わり頃に再会した。
親友の妹アキの友だちだった。

あの子に合わせろ、とオレは再々アキにたのんだのだが、
「あの子はよしな」とアキはにべもなくいった。
そのわけがわかったのは、オレが都会に出てからだった。

で、そのあとで駅のホームで見送ったのが最後だった。
あのころ、クラスの半分は中学出て就職し、そのまた半分は親元を離れていった。
アキとのはなしは、このブログのどこかにある。

遠い日のはなし。
ほなあした..........................

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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