topimage

2020-09

それもこれもその人のもつ運命であった - 2020.09.16 Wed

曇りというか、うっすらと青いところが透ける空。
山のほうには、真っ白なもくもく雲がある。
予報では終日の曇り、いま、デスクの上では28,5℃。

もう暑くてたまらん、ということはなそうだ。
朝は風も冷たいが、昼にはすこーしアツくなる。
秋の味覚の収穫がすくないらしい。

なんでも、ずっと暑いままで推移したので、
自然が秋を認識してないのだっていう。
だから、この先秋が急にやってくるというパターン。

これね、ここ数年はいつもいってるだろ?
日本は亜熱帯になったんだな。
いままでの常識は通用しない。

つまり、想定外っていうヤツが想定のうちになった。
それを認識しないといけないんだろうな。
頭の切り替え。個々でも行政でも。

 20916-aa1.jpg
 ↑ 柔らかい光が室内へ

珈琲や水やお茶などをイオンの通販で買う。
重いものは玄関まで運んでもらうのだ。
まとめて5000円以下だと、配送料300円。

それでも運んでもらうのだから、
これもシニアの知恵。
こういうもの活用しないとね。

女性の配達員さんのときがあるらしい。
重いので気の毒で.......... とおペケがいう。
ねぎらってあげればいい。心からありがとうってね。

 

珍しくも、カレーを煮込んでいた。
うん。美味かった。
レトルト「どこどこのカレー」もいい。おペケカレーもいい。

ちょっと多いかな、と思ったが食べちゃった。
隠し味が利いていた。
なんだっけ。聞いたのに忘れた。


安倍さん、お疲れさまでした。
と、心から申し上げたいと思います。

平成以降、最高の首相であったことは、
間違いありません。

お身体を治すよう専念してください。
そして、日本のためにまだまだ頑張ってください。

オレの中で安倍ロスが大きい。
すべてがよかったとは思わないけれど.................

 20916-a2.jpg

なんか左足の人刺し指が痛いんだ。
敷居にひっかけた憶えはある。え、爪の下が黒いぞ。
すこーし皮下出血している。

それほど痛くはないけれどねぇ。
ぐりぐりやってみれば、イテテテぇ..........
骨折はなさそうだ。

これは年齢認識のギャップだっていう。
あれぇ? とか、こんなはずじゃ? とかいう。
認めたくはないが、いつしか体力や、能力に衰えがでている。

最近は素直に認めている。
おい、おまえ。もう、以前のおまえじゃないんだからな。
往生せぇーよ、ってね。

 19101-fp104_2020091614593760f.jpg

海難事故が起きる度に胸が締め付けられる思い。
なんだろうか?
オレの身体のなかの漁師のDNAに響くのか。

海は大好きだけれど、怖い。人一倍の恐がりだった。
たいして泳げないってのもあるけれど、
それ以上の畏怖心がいつも身体のなかにあったのだ。

ひょっとして、オレは海で死んだ漁師の生まれ変わりかもしれない。
それから漁師のDNAをもってるクセに船には弱い。
すぐに船酔地獄からお迎えがきて、顔面蒼白、船縁つかんで遠くをみている。

が、釣り竿もったら、口から涎垂らしながらも竿を離さない。
この根性というか、これがDNAというか。
船頭が、これを視ていつも褒める、というか笑った。

「ふつう、それくらい船酔いしたらキャビンで転がってるぜぇ」
てやんでぇ。高い乗合料金払ってるんだ。
転がってたまるかァ。

そう、その意地っ張りだな。このDNAも納得はゆく。
ジィちゃんの母親は武士の娘だったらしい。
それが、ご維新でどこがどうなったか、網元の親方に嫁いだ。

ま、朝ドラになりそうな物語があったそうな。
その挙げ句にジィちゃんは、この家を出奔して母親を連れて、
東海道をくだり箱根山を越えた。

先祖代々の位牌にオレに知らない戒名がある。
これが曾祖母らしい。
背中のお不動さんの絵は,この意地っ張りの証しだったのか。

まァ、どうせ、オレはどこかの馬の骨だから、
どこで朽ちても悔いはない。
負け惜しみじゃないけれど、これはラクチンだね。

 20916-s1.jpg

かくいうオイらは戦前の生まれだからね。
戦争中の「ほしがりません勝つまでは困窮生活」だとか、
空襲から逃れた疎開生活とか、戦後の草まで食べた食糧難とか知っている。

正確にいえば、記憶はそれほどない。
親は経験したけれど、オレは年端もゆかない幼子だったし、
ひもじい思いをしたという記憶はないんだな。

そもそも父親は軍需工場の経営者だったから,
どこからもってくるのか、いつも銀シャリ食べてたし、
ま。戦時中でもひもじい記憶はないい。

ほんとうにひもじい思いをしたのは、戦後の混乱期に、
事業の転換に失敗して工場を手放してからで、
そりゃァ、もう一転してボンビーどん底へ転落した。

戦後の混乱期に爺ィちゃんのルーツヘ何度か行った。
油壺とか三崎とかの記憶はうっすらとある。
上野動物園でカバをみた憶えがあるから戦後3年くらいか。

デパートの食堂で「うどん食べたい」といったら売り切れだった。
「だってぇ、隣の人食べてるじゃないか」
と、大泣きした記憶の欠片がある。

戦後に「こら千、ガチャ万」という言葉があった。
「こら千」というのは、戦後統制のころヤミ屋が摘発されると、
罰金1.000円だったとか。あのころの1.000円って、けっこうなものだ。

で、「ガチャ万」は衣類欠乏の時代だから、
織機が「ガチャ」というと1万円儲かったってはなし。
うちの父親はいちはやく、もともとの織機メーカーに転身していた。

ここまでは、まだオレもお坊ちゃまだった。
織機と電動農機具メーカーで、会社へ遊びにゆくと、
事務員さんがお守りにすっと付いてくれた。

もともと、物造りの街浜松周辺には、
トヨタ自動車の祖、豊田佐吉翁の流れを汲む、織機メーカーが幾つかあり、
それがのちのオートバイの街を生み出す土台にになっている。

スズキは鈴木式織機だし、
ヤマハは、日本楽器 (ヤマハ) の別会社、ヤマハ発動機。
オレの10代の頃には、市内にバイクメーカーが10数社も存在した。

本田さんは、アート商会という自動車修理工場から起ち上がった。
工場が向かい合わせで、将来はと.................. 誓い合ったとか。
で、のちにこの2人がハグする場面をオレは視ている。

このなかからホンダ、スズキ、ヤマハが残った。
淘汰されたメーカーは、これら参加に入り発展を支えたのだから、
企業としての力は充分すぎるほどほどある。

で、うちの父親の会社は、
そのオートバイブームまで、持ち応えられなかった。
ま、それもこれも、その人のもつ運命であった。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

ほかのブログへはこちらからどうぞ!!


http://www.photobb.net/bbs.cgi?id=12045 ⬅️コメントをどうぞ。
⬅️簡単メッセージはこちらへ
⬅️アルバム スライドショーはこちら
⬅️tumbir Blog 一日一写 はこちら


NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

Pictlayer

写真は画像クリックで拡大
オリジナルサイズでどうぞ


ADMIN

天気予報

【雲の動き】

メールフォーム

 管理人への連絡はこちら
 要返信はメアドご記入下さい

 

twitter

フォローよろしく !!
  

 

写真アルバムへゆく










   


   

Counter

My Blog & site

 
 テンプレ/レンタル













ご訪問に感謝!!

プロフィール

略してごんべ

Author:略してごんべ
「Gombessa」
スペルが面倒だから
「略してごんべ」

すべての更新情報

 
 ごんべのWeb siteすべて
 の更新情報はこちらです

LINK

TUNE IN
浜松エフエム
NHK らじる☆らじる
Abema RADIO



*自然を愛するカメラマン
 

 

プルダウンリスト

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する