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2019-08

その色のうしろがわには忌まわしい記憶がある - 2019.08.08 Thu

そろそろエアコンどう? とおペケがいう。
10時まで我慢した。気温は32℃。.風はある。
で、「あ、これかァ」と背中の扇風機みつけた。効いてる。

「いれてもいいよ」
ぶっ倒れてからでは遅い。
今日は立秋、暦のうえでは、もう秋。

そうだよ、あと1ヶ月の辛抱。
9月半ばには、この暑さがウソのように涼しくなる。
頑張れぇ。オレとおペケとみなさんにエール !!

台風9号は中国大陸へ向いている。
10号は列島の真っ正面だが、このあとは太平洋高気圧次第。
高気圧のヘチを伝わるので、それがどこにあるか。

ベランダへ出て、花鉢に散水した。
風がけっこう吹いている。髪の毛が乱れる。
手櫛で掻きあげて、乱れる髪の毛あってよかったな、と思う。

ま、てっぺんは寂しくなったらしいが、
これは合わせ鏡しなくちゃ見えないわけで、
自分がみえなければいいんだわさ。気にすることはない

 1988-a1.jpg

午後から、車やさんへ持ち込みの半年点検。
どういう契約だったか忘れたが、点検は無料。
で、テレビみて、待っている。

おペケは、サービスの飲み物をとりにいってくれた。
「あれ、観てごらんよ」とおペケを呼んだ。
ちょうど、小泉進次郎氏と滝川クリステルさんの結婚IV。

ここんとこロクな話題しかなかったから、おめでたい話はいい。
もしも進次郎氏が総理になったら、トップレディにふさわしいねぇ。
お・も・て・な・しで様になりそうだな。

 1988-f1.jpg

本来、アメリカで派生したニュース性、
あるいは個人主張のあるBlogとは違い、日本のブログは日記が多い。
たしか、2004年くらいから始まったのだ。

当初は、おなじ話題でブログが繋がってゆき、
ときには交流を深めて話題を盛り上げ、
ときには、ニュース性のあるテーマで議論を交わす。

このつないでゆくツールが、コメントの横にあるトラックバック。
だが、瞬時に展開する掲示板からtwitter へと、
スピードのあるツールが出現するに及んでいつの間にか形骸化した。

で、データが2011年とちと古いが、ブログ総数2700万人とか。
そのうちアクティブブログが300万だそうな。
2010年以前、いちばん閲覧の多いのが、FC2といわれた。

この会社の急成長が伺われるねぇ
実は、オレ、ここが社員7人からのお付き合い。
相当にちゃらんぽらんな会社だった。

で、ここはいわゆるアメサバっていうヤツだけれど、
てっとり早くいえば、いま、皆さんが読んでいるこの記事は、
アメリカのサーバーにあるわけで、そこに接続しているってことになる。

ゆえに、あちらの商売上でアダルト部門があって、
ときどきこれが問題起こすのだが、ごく初期のネットでは、
アメサバゆえのフリーなところや、レンタルが安いのがよかった。

たしか、35米ドルで5GBのホームページスペースをレンタルできた。
アメリカにあるサーバーで、アメリカ並みの料金っていうのはいい。
で、いくらアメサバでも、投稿者は住んでる国の法律に従う。

でねぇ、なんで日本のブログの閲覧数がダントツ多いかだね。
深く考えると眠れなくなっちゃうが、
地下鉄をどこから地下へいれたか.よりは、わかりやすいと思う。

これを支えているのは、
世界に類を見ない「相互ポッチン」の特殊性なのだといわれる。
ま、これ以上は書かない。さもあらんと思うだけ。

 1988-a3.jpg

それで車点検から帰ってきて、あまりの暑さに、
「アイス食べる??」
「お、それそれ......... 」と夕方近くにアイス食べた。

アイス饅頭ね。これが美味いんだァ。
そうしたら晩ご飯どきになっても腹が減らない。
「どうしよう??」

「遅くしなよ」って7時半になってからの夕餉。
で、食べ始めると、なんのことはない完食なのだ。
暑くても食欲はある。これがなくなっちゃ、おしまい。

 ←click 

夕餉おわって、なにかテレビ観ていたが、
それがなんだったか忘れた。
ま、忘れるくらいたいしたもの、観ていなかったらしい。

おペケは、ときどき舟を漕いでいる。
夏は朝が早いから、早くから眠くなるって道理。
真夏の五輪期間は、この調子でゆくと地獄の暑さだね。きっと。

で、当初はサマータイムにするとかの提案があったが、
結局は断念だそうな。
いまどきは、コンピュータプログラムがあるからムリ。

オレが小学生のとき、サマータイムがあった。
なんか早起きして、眠くて、眠くて、ラジオ体操にいった。
2時間繰り上げるってタイヘンだった記憶がある。

 1988f-ff1.jpg

オレは、50歳になるまで、ずっと同じ夢を見続けた。
外へ布団を敷いてなにかに怯えながら寝る夢。
たぶん、昭和19年の東南海地震のトラウマだったろうと思う。

幼子だったから、直接の記憶はないのに、
その夢だけを、繰り返しくりかえし、半世紀近くも見続けた。
なぜ、50歳を超えたらみなくなったのか、それもわからない。

ひょっとすると、それは.................
大空襲でこの街が焼け野原になった幼児体験から、発するのかもしれない。
が、50年もうなされ続けたなにかが、この脳にこびりついている。

 1988-a2.jpg

太陽が沈んでから、しばらく残照が西空を染める。
1日としておんなじ雲がない。色も違う。昨夜は盛大だったね。
ふと見ると中空にお月さんがあった。

ただ、夏のこういう赤い空は不気味でイヤなんだ。
20年前の近未来映画「インデペンデンス・デイ」を想い出す。
直径24kmにも及ぶ円盤型UFOがニューヨークの空に現れる。

その不気味さが、さらにはオレの原体験の大空襲の夜の記憶に
つながってゆき、脳裏に焼き付いた街が燃えさかる色となるのだ。
なんか頭の鉢を締め付けるような不快感がある。

太平洋戦争末期の昭和20年7月29日の夜。
浜松の市街は、天竜川沖合からの米英海軍の激しい艦砲射撃を受けた。
70分間だったという記録があるが、打ち込まれた砲弾はなんと2160発。

音の記憶はないが、真っ赤胃に染まった夜空の記憶は消えない。
浜松はホームタウンといわれ、ほかの都市への空襲の往き帰りにも、
爆弾を落としてったから、すでに市街地は焼け野原となっていた。

そこへ容赦なく20秒に1発の砲弾が飛んできたのだ。
凄まじい一夜であったことが、幼児のオレの脳裏に刻まれている。
いま残照をきれいだなと思ってみれない。

その色のうしろがわには忌まわしい記憶がある。
夏になると繰り返し、これを書く。
そのうち、これを知る人もいなくなってしまうからね。

オレは、幼子であったから、2月から7月末までの空襲が、
実際の記憶なのか、のちの大人たちの話による刷り込みなのかはわからない。
けれども、頭のハチを締め付けるような不快感はいまも五感にある。

あの不気味なB29の爆音と空襲警報のサイレンは、
脳味噌の襞のどこかにひっかかっている。こんな断片の記憶であっても、
これだけ残るのだから、経験した人たちは消えっこないのだ。

原子爆弾というものの実体を知ったのは、小学生になってからだった。
引率されていった美術館で「原爆の図」をみたのだ。
座り込んでしまう女の子がいた、立ちすくむ男の子がいた。

この絵の地獄が、ほんの少しでもわかる世代であったからこそ、
強い衝撃を受けたのだ。
あれは「戦争を終えるためにしょうがない.」などとすまされる出来事でない。

戦争被害をこれ以上広げないために必要な原爆投下だったと、
アメリカの教科書に書いてあるらしい。
あの原爆を落としたB29のエノラゲィは保管されている。

が、そこには、この飛行機がなんであるか、説明文はまったくないのだとか。
正当化であれ、なんであれ、かの国は教えている。
で、その唯一の被爆国である、この国の教育はどうなんだろうか。

あるいは、執拗に焼夷弾と爆弾の空襲を受けた地方都市は、
無差別な大勢の市民の殺略をうけたのだが、
それを次世代に伝えているのだろうか。

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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