天真爛漫ちゃらんぽらん

まったり ゆったり ふたーり

「頑張れや。ご同輩 !!」 と背中にエールを送っといた

早朝に雨降ったらしいが、曇りのまま。ところが.......
午後から歯医者へ行って、終わって出てきたらパラパラ。
帰りの途中のスーパーへ寄って、でてきたらパラパラ。

最後に駐車場で車を出たらパラパラ。
これがなにかというと、おペケ雨女のせいではないかと。
元は最強晴れ女だったが、いまでは鮭の西京漬けの方が強い。

鮭といえば、帰りのスーパーで鮭海苔弁当10%OFを買ってきた。
おペケは和風唐揚げ弁当10%OF。ポテサラにエビフライ。
ビールの小缶を入れるのも見逃さなかった。

「いいな、うれしいな」
おペケラクチン。ワシは大好き。
ここの惣菜や弁当は、ここでつくるからけっこう美味い。

ワシもおひとりさまの名残で、たまーに弁当が食べたくなる。
惣菜も食べたくなる。爺ィ婆2人だからね。
あまり手作りにこだわらず、ラクチンすればいい。

ただ、こういうもの買わせるとワシのほうが上手。
だって、9年もこんな物食べていたからねぇ。
爺ィさん1人の買い物、けっこういるな。

10年前のワシだ。
「頑張れや。ご同輩 !!」
と、背中にエールを送っといた。

  ←click

女性のおひとりさまは、自分でつくることができる。
おペケも鍋いっぱいの煮物こさえておいて、
それを何日も食べていたらしく、惣菜には頼らなかった。

でもねぇ。
弁当宅配という手もあるし、一手間加える惣菜もあるし、
ま、上手に暮らすのも、これからの高齢者の食生活かもしれん。

23922-f4.jpg

おペケが「今日はお惣菜です」っていっても、
ワシは絶対に「なんだよ」とか文句はいわない。
おひとりさま9年の後遺症というか、ノスタルジアというか。

総菜見ると食べたくなるのだ。だいたい浜松はこういう土地柄。
たとえば浜松餃子だって、そのひとつだからね。
惣菜文化が発達する裏には「かかァ天下」があるんだ。

「かかァ天下」といったって、亭主尻の下で大威張りとは違う。
亭主支えてよく働く気丈な女性といえばいいか。
ま、よく働くから夕餉はしっかり作られた惣菜ですます。

そういう惣菜の街が、城下の木戸外にあったそうな。
城下へ行商にいった帰り、職人さんの仕事帰り、
夕方まで亭主の仕事の手伝いしたおかみさんが寄っていったり。

忙しい時はこれでいいんだ。
向かいのスーパーや、ちょっと離れたジャンボドンキ。
あるよ、この周辺にもいっぱいある。

ただし、中規模のユニーだとか、セーユーだとかが、
次々となくなってゆく。
それがちょっと寂しい気がする。

中規模スーパーの衣類が好きだった。
このユニクロとは違う、ちょっいとダサ系の衣類が、
地方から姿を消してゆくのがワシ的には寂しい。

以前の浜松東地区はイトーヨーカ堂が核だったが、
その北側にイオンモールができて、ヨーカ堂が撤退。
すると、その跡地にコストコができて、この地域が復活した。

それで、イオンのなかのユニクロがコストコ圏内に移った。
めまぐるしく勢力分布がかわる。
郊外商圏人気は地方都市型としてはしかたない。

つまりは、浜松もドーナツ現象は免れず、
環状線たどれば東西にイオンがあるし、
郊外に大型店が多いのは、地方都市の宿命だからしかたがない。

ある知り合いにオレオレ詐偽の電話がかかってきた。
息子が通勤電車のなかで痴漢をした。
ついては示談金がいるから用意してくれというのだ。

それ聞いて奥方が大笑いしてしまったとか。
地方都市の場合は大多数がマイカー通勤だからね。
電車へ乗って通勤するのは学生くらいのもの。

だから、運転免許返上してしまうと、
老々家庭では困ることもあるわけで、LRT計画はいいと思う。
ワシたちが郊外からここへきたのも、そういう意味がある。

爺ィ、早く免許返上しろ、と若い衆がいうけれど、
そうはいかない事情もあるんだ。
あんたたちが老人になるころはもっと深刻化もしれないよ。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほな、あした.................................

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笑ってしまうと、立ちかけた腹が斜めになる

朝のうち空全体が曇りだったが、いまは綻びて、
青空が部分的に出たり、それがすぐに雲が覆い被さったり。
どっちみち降るんだろってな、不安定な空になっている。

天気図みたら日本海にある低気圧にすっぽりだから、
金曜、土曜も雨で、あらァ、これじゃ、どこもいけやしない。
彼岸花を撮りに行きたいのにねぇ。行く気になったのにねぇ。

それで、気温は29.8℃。西風が強くて家のなか掻きまわす。
エアコン入れるか? って我慢のギリギリ。
湿度は77%だから,もうベタベタもいいところ。

え? 明日は歯医者の点検だってか。
雨降ってもいくんだな。これは。しんど。
それで、今週は終わり。

  ←click

この間から家電の受話器が調子悪くて、受話器とっても、
通じないとか、かけられないとか、いろいろな機能がありすぎて、
おかしくなっていたから,シンプルなヤツに買い換えた。

家電といってもIP電話なわけで、料金は格安。
全国どこでも市内通話料で、どっちみち、
2024→2025にはアナログ回線がメタルに切り替わる。

つまり、ぜんぶがIP電話とおなじメタル回線になるわけだ。
その先取りといっちゃなんだが、高機能にしておいたのに、
ま、2ヶ月に1回鳴ればいいところだからね。

それで、今回はごくごくシンプルにした。
電話機価格1910円。電池入れるところを探したがない。
要らないらしいよ。どうなってるんだろ?

IP電話だと局番が050なのだが、うちはauでKDDIにしたところ、
053と浜松局番で番号がとれた。050だとけっこういわれたよ。
どこの局番ですか、それ? ってねぇ。

ま、スマホがあるのだからいいけれど、
110番とか緊急番号だとか、0123がかけられない。
さすがはKDDIで、それらがぜんぶクリアされていた。

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ワシが、おひとりさまになった最初のころだった。
卵を炒って、冷や飯入れて、細かく切った焼き豚と細ネギ。
イイ匂いがする、見た目も旨そうなチャーハンつくった。

このしゃかりき頑張ったチャーハンを皿に移して、
テーブルまでのたった3歩で、皿ごと落っことし、
床に広がったご飯粒集めながら、泣くがいやさに腹抱えて笑った。

 笑うしかないだろ
 な、おまえ
 あはは...
 それでいいのさ
 どんまい、どんまい

こういうときって笑えるんだな。
笑ってしまうと、立ちかけた腹が斜めになる。
よくしたもんだ。人間ってね。

この頃を思い出すと、いじらしくなる。
できることなら、あの頃に戻って、
泣き笑いしているワシを抱きしめてやりたいくらい。

最近、おペケがよくいう。
浜松に住めてよかった。晩年を過ごせてよかった。
あなた、ありがとう。

いやァ、そういってもらえるとねぇ。
ワシは男冥利に尽きる。
こっちこそきてくれて、ありがとう。

 後任者と
 彼岸花咲く
 広い墓地抜けて
 前任者の眠る
 墓へ詣でる

ワシだって、こういう日が来るとは思わなかった。
亡き人の眠る墓へこうしていけるとはねぇ。
「私だって、ここへ入れてもらうんだよ」

ま、そうだな。
毎日を高麗鼠のように、あれしたり、これしたり。
これができるうちが華だと思う。これがおペケの身上だもの。

昨日、自分のブログ書いていて、聞きにきた。
Lunaはハンドルネームでしょ、じゃ、おペケはなに?
そういえばそうだ。ほんとうはハンドルが2つある。

ずっと使っていたHNがLuna。
それよりまえの独身時代は、パソコン教わった姪御さんと、
なんだか、ワシのわからない女性の世界。

「月からきた姫」だったそうだが、
いくらなんでもそれじゃ、尻がこそばゆい。
ま、おなじ月だから、Tintarella di luna なんだな。

ザ・ピーナツや森山加代子さんが歌ったあれだ。
ティンティンティン♪ って50万枚の大ヒット。
で、Luna にしなよ。ってこれがハンドルネーム。

そうすると,おペケってなに?
これは愛称、ニックネームってややこしい。
ワシとしたら、こっちのほうがいいやすい。

「おペケってなに?」と妹がいった。
ちょいちょいドジするからニックネームといったら、
「それ、かわいそうだよ」という。

本人は気にいってた。と思ったら、2年して代えろといわれた。
ペケ、ペケいわれたら気が滅入るという。
本人としてみたら、そうなのかなとほかを模索した。

そうしたら、アイハートさんたちが援護してくださった。
そして使い分けてくださった。ワシのGさまとおなじ。
で、再びおペケに戻った。

なんか呼びやすいんだな。
こらァ、おペケぇだとか、おペケさまさまだとか。
そのときどきの感情がこめられる。

こんなおふざけだって潤滑油だ。
会話が愉しけりゃいい。笑っていれば腹は立たない。
ワシも「なんだぇ、Gさま」っていわれても腹はたたない

これだって、言葉にしたら「爺ィ」だからね。
爺ィで、けっこう毛だらけ猫灰だらけ。
これらも愉しく暮らすため方便なんだからね。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
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ワシらが遊んだ馬糞小路は洒落たストリートになった

彼岸の入りなので、昼前にひとっ走りお寺へいってきた。
なんとも暑いのだ。これで彼岸か? なのだ。汗ぼた。
いやァ、暑いわ。ほんと。

入りなので、お参りの人は多かった。
信心深い3番目の妹が、毎月いって墓周りをきれいにしてくれるが、
この1ヶ月はコロナで一家総倒れとか。二度目かも?

なので、いつもより念入りに掃除する。
いまの墓は一段下の新しいところで、以前は上段にあった。
ワシが幼いころ、墓石の傍に木が生えた。

これが成長して、大きな木になった。
骨壺は木の根に抱かれて、骨も根に同化して、木も切れず、
寺は新しいほうへ引っ越してもらえないかといった。

それが平成10年のことだったが、いまやかなり大木になって、
ジィちゃん、バァちゃんが、そこに宿っている気がして、
1年のうちの何度かは、元の墓地へいって手を合わせている。

23920-f5.jpg

この境内と墓地の間には国道152号線が通っている。
R152は浜松市と長野県上田市を結ぶ。
寺と墓地は跨線橋で繋いでいるが、初めからそうではない。

戦後に、R152を拡張整備したとき、山を削って切り通しになった。
あまり記憶はないが、幼いワシがバァちゃんと、
墓参りにいったころは、大きな山だったと思うが定かでない。

山を削って切り通しにしたという大工事だった。
ちらっと記憶にあるようなないような。
ワシの家は、この南側の六間道路沿いだった。

23920-f3.jpg

曹洞宗、真徳山天林寺。
傑堂義俊禅師が、文安二年(1445年)に引間城の麓に,
亀鶴山万蔵院を構えたのが天林寺のはじまり。

また、六間道路を隔てた南向かいの山は引間城でもあり、
城の鬼門に当たるところへ天林寺をおいたともいう。
かの江戸城の鬼門には上野寛永寺が置かれている。

で、三方原合戦の頃は、引間城が近いため被害も大きく、
一時は井伊谷へ避難するほどだったとか。
四世宋寅大和尚の頃、家康公は住み慣れた浜松城から駿府城へ移った。

その頃、天林寺の森に黒装束の一団が現れ、近辺を徘徊した。
本堂に侵入するなど狼藉甚だしいので、
力自慢の法師が力尽くで追い払い、犀ヶ崖に追い詰めて見失った。

里人たちも捨て置けず、動員して周辺を探索すると、
手負いの狐が多数見つかり騒ぎも決着した。
つまり、天林寺が鬱蒼とした山の中にあったということ。

考えてみれば、ワシが子供の頃でも、
犀ヶ崖に通じる追分の坂は昼なお暗く、あそこは人さらいが出ると、
ワシらは駆け足で、そこを抜けた憶えがある。

  ←click

浜松城も廃城になって100年。
終戦後にここを会場として子供博覧会が開かれるまで、
どのような状態であったかは、ワシの記憶にない。

23920-ff7.jpg

外で大人たちの大きな声がした。
次の瞬間、その店先に大きな物体が飛び込んできたのだ。
ワシは、その大きな物体の下敷きになった。

六軒道路から広小路といった、当時としては広い道路。
戦後の木炭自動車が走っていたころであった。
商売人は馬力で運び、普通はリヤカーが活躍した。

いま通ってみれば大した道幅ではない。
が、子供心には大きな通りだった。
その広小路から暴走してきた馬力が下駄屋に飛び込んだ。

その店先に、幼いワシとバァチャンがいたのだ。
気がつくと、自分のすぐそばに、
荒い息を吐く馬の顔、血走った大きな目があった。

放れ馬だった。
ワシは首の下敷きになったらしい。
どう救い出されのかは記憶がない。

医者にいった。
おでこのたんこぶには砂糖が塗ってあった。
センセが、砂糖は舐めとけ、といってヨードチンキを塗った。

これがトラウマとなった。
小学校に上がっても、馬、牛が怖い。
狭い道の向こうから馬力でもこようものなら、もうパニック。

いまきた道を慌てて戻る。
あの目が怖い。
血走って大きな目が怖わかった。

駅のそばに馬糞通りという小路があった。
ここは、貨物駅からの荷物を運ぶ丸通の馬車が頻繁に通る。
馬の落とし物も多かったから、この名前が付いたのだ。

小学生高学年、この小路へ毎週通った。
映画の面白さに目覚めたからだ。
小路の途中に銀映座という三番館があった。

ここへいくのに怖い馬も我慢した。
右太衛門の旗本退屈男、千恵蔵の多羅尾伴内。
美空ひばりのマドロス姿は、瞼の裏に焼き付いている。

で、いつしか洋画館にも通う。
洋画の三番館は広小路にあった文化劇場。
カークダグラス、アラン・ラッドの西部劇に夢中だった。

このころの入場料は子供10円。
ポケットにねじ込むコッペパンが10円、
サイダーが10円、締めて30円。

映画館はいつでも満員。
ワシらガキどもは舞台の上に寝ころんで見た。
シネマスコープの細長い画面の端から端へ駅馬車が走る。

嵐寛の鞍馬天狗が乗った馬がパカパカと走り抜ける。
3本観ると首が痛くなった。
が、みんながみんな30円を親からもらえるわけがない。

学校から帰ってリヤカー引いて町内を歩く。
戦争終わって10年経っていない。
焼けトタンの切れ端、爆弾の欠片などという鉄片が落ちていた。

これを広い集めて隣町の鉄屑問屋へリヤカーで持ち込む。
「余所の物持ってくるなよ」と買ってくれるのだ。
このおカネを神社の縁の下へ空き缶に入れて隠しておく。

「今日はカァちゃん、カネくれん」
こういうヤツがいると、このストックから出してやる。
ガキ大将はただのガキ大将じゃない。

こういう統率のとれるヤツがなる。
こういうなかで、多くのことを学んだのだ。
しかるに............... いや、いうまい

いま、あの馬車が通った道にアクトタワーが聳え立つ。
ワシらが遊んだ馬糞小路は洒落たストリートになっている。
そこを見下ろす丘の上に、ワシも,そのうち眠ることになる。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほな、あした.................................

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